平成最初の夏、1989年7月31日。当時、創部87年目だった古豪・成東が初めて千葉の頂点へと立ち、念願だった甲子園出場を決めた。翌8月1日付の千葉日報には、ひときわ大きな見出しが躍っている。
『成東、悲願の甲子園』
『その瞬間"喜びの人垣"』
成東は、南関東・東関東大会時代を含めて甲子園出場決定戦に11度挑みながら、そのたびに苦杯をなめてきた。当時の紙面は、その歓喜をこう伝えている。
「夢だった甲子園、『悲願』という言葉が染み付いた成東高校が、ついに夢をかなえ、悲願を達成した。31日午後2時4分。その瞬間、時が止まったようになり、間をおかず球場全体がるつぼのように沸き返った」
あと一歩で夢を逃し続けたことから「悲運の成東」と呼ばれてきた同校が、長年の悲願だった甲子園出場の切符を手にした瞬間。せきを切ったような大歓声と拍手が、彼らを包み込んだ。
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この夏、成東は初戦で市松戸を...
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